長期滞在したヨーロッパや音楽、その後の日本での生活を話題に!


by chisanakonomi
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ユーゴ滞在記完結編

午後3時頃になった。
通りのあちこちから一人二人と人々が現れる。
あっという間にメインストリートは賑やかに。
「この国の人たちは散歩が唯一の楽しみなんですよ!」とIさんは言う。
毎日3時頃になると家にこもっている人はみな外に出るのだそうだ。
私達もしばらく人々の流れに逆らわず、一緒に散歩を楽しむことにした。
ベオグラードはドナウ川とサヴァ川の二つの大河が合流している。
ここはバルカン半島なのだ。オスマントルコに300年もの間占領され、その名残りがあちこちに残っていた。
ハンガリー領だった時代はナンドールフェヘルバールといわれていた。フェヘルバールとは白い城という意味。オスマントルコとの戦いでハンガリーのフニャディ・ヤーノシュ(マーチャーシュ王の父)は1456年奇跡的な勝利を得たことがある。これを記念して、ヨーロッパ全土では正午にカトリック教会の鐘が鳴るようになった。
ハンガリーとも大変関係の深かったベオグラードなのだ。
若者達は夜11時ころからぞろぞろと町に出てきて、明け方まで遊ぶ。11時頃はまだまだ宵の口なのだそうだ。
Iさんが法律のシンポジウムで知り合ったという保険会社に勤めるお友達に電話をかけて仕事が終わったら会うことになった。
まだ明るいうちに、その保険会社の法律家(女性)は同僚の男性を助手席に乗せて、この国では結構高級と思われる赤い外車で現れた。
私達を美術館に案内するという。
川のほとりにある美術館に案内される。閉館間際だったので、急いで見て回る。
雪景色の結構気にいった絵画をみつける。
嬉しい気分。
この保険会社のかたがたもラテン系らしく明るくくったくがない。
カーステレオからはビートルズが流れる。
軽い食事に招待してくださるという。
私達は船のレストランでグリューワインにタタールビーフステーキといった、バルカンのメニューを楽しんだ。ハンガリーにもタタールビーフステーキはあるけれど、ここのは本格的でおいしい。
なんてったってシチュエーションが最高!
船の揺れに身を任せて、暮れなずむベオグラードの夜景をバックにワイングラスを傾けて・・・
なんという贅沢!といってもお値段は日本よりずっと安いのだ。
「私はあの山の上のほうに住んでるの」と保険会社の女性は遠くにポツリと見える明かりのほうを指差して言った。だから車じゃないと不便なのだそうだ。上手に英語を話す人だった。

1999年セルビアはNATOの空爆を受ける。
ハンガリー・ブダペストの私の職場近くに、ユーゴの大使館がある。
大使館前の掲示板にはむごたらしい空爆の後の写真、女の子の遺体にすがって泣き崩れる父親の姿など、日替わり、週代わりで展示されていた。
ノヴィサドはどうしただろう、ベオグラードはどうしただろう。マルギットは?エルジケは?
ドナウにかかる橋は破壊されたという。
子ども村は大丈夫だろうか・・・すぐには聞けない。しばらくたって落ち着いた頃に電話して無事を確認するまで、心配だった。
あの山崎さんは、このときのことを詩にかいた。
山崎さんの同じアパートの子どもたちが、天使になった。
”かよちゃん”の繊細な筆に出会える日はもうすぐだ!(完)
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by chisanakonomi | 2008-03-26 23:00

続ユーゴ滞在記


月曜の朝、マルギットがノヴィサドの駅まで送ってくれた。
残った外貨をマルギットに渡そうとした。
マルギットは怒った。
せめて宣教活動の足しにしてほしいと申し出たが、ガンとして受け取らなかった。
なんとなく気まずい空気が流れた。
マルギットはベオグラードにいるIさんにキオスクから電話をかけようとしたが、残念ながら女の人が使用中。
しばらく待つが電話は終わりそうにない。
マルギットは「待ってるの、電車の時間があるからもう変わってもらえない?」とたぶんセルビア語で言ったんだと思う。かなりきつい口調だった。
「あ、すみません」という感じですぐに電話をかわってもらい、私が乗る電車をIさんに告げる。
「気をつけてね。よい旅を」マルギットと売店そばで別れる。
私はなんとなくさっきのことを引きずっていたけど、笑顔でマルギットに手を振った。
ホームで電車を待っていると、少し年配のご婦人が話しかけてきた。
なんと言ってるのかさっぱりわからない。
私は日本語でだったか英語でだったかよく覚えてないけど、
「あなたの言っていることわかりません」と返した。
それでも彼女は話かけてくる。
それはたぶん想像するにこんなことだったと思う。
「今日はいい天気でよかったわね。(前日は3月も後半だというのに雪がぱらついていた)だけどまだまだ寒いわね。」
私は白いジーンズに濃紺の冬コートといういでたちだった。(よく覚えているなあ)
「あなた学生さん?」と聞かれたと思う。
なんの根拠もない。ハンガリーではたいていの人は天気の挨拶そして「学生さん?」と話しかけてきたから。3人の子持ちなのにずうずうしい私である。
人懐っこいラテン系の人々よ!

ベオグラード行きの電車に乗り込み、いよいよ外務省通達で日本人は入国自粛地域に入っていたベオグラードに到着。Iさんが、窓の外で私を見つけてくれて手を振る。駅には銃をもった警察が警備している。この国では銃は自由に所持できた。
「治安はよくはないですから、私が後ろから注意して歩いていきます。」とIさん。
緊張が走る。
地下鉄の工事が資金不足から途中でストップしている。モスクワホテルという由緒あるホテルがあるかと思えば、マクドナルドの看板。アメリカとは無縁なはずなのに、アメリカ資本が目に付く。
交通機関はトラムだったかバスだったか乗り継いでダウンタウンにでかける。予約していただいたホテルに荷物を預けて、出かける。
メインストリートはいろんな店でにぎわっている。
貧しい国とは思えない。
Iさんは海賊版のCDを何枚か入手。
私は石畳の道を歩いているだけで満足だった。
地元のレストランで昼食。
パプリカに焦げ目をつけて焼いたサラダに肉の串焼きみたいなのをいただく。
「ベオグラード大学で学生時代の友達が日本語を教えているので会いにいきましょう」
Iさんは広い通りにでて、古い建物に入っていく。日本の大学を想像したら大違い。
ぐるぐる中をまわって、二度と今来た道に戻れないようなルートで、一つの部屋にたどり着いた。
ちょうど講義が終わったところらしい。
ぞろぞろと学生達がでてきたのと逆行して教室の中に入る。
「かよちゃん!」Iさんは日本人の女性に話しかける。
「あらあ、びっくりした」
かよちゃんとIさんが呼んだその女性は、くるぶしまであるロングドレスを着て、ストールを肩にかけている。知性のあふれるステキな女性だ。
この人が山崎佳代子さんだった。
私はこのときのことをよく覚えているけど、当然のこととして山崎さんは覚えていない。(再会してわかったこと)
小さな教室に移って少しお話して山崎さんとはお別れした。
その5年後くらいに復刊ドットコムからお知らせがきた「鳥のために」の原作者山崎さんに東京で会うことになるのだから、世界は狭い。
それも松下耕さんの合唱団に所属したことがきっかけなのだが。
1年後のNATOによる空爆で、マルギットもエルジケもこの山崎さんもどうにか難を逃れて生き延びることができた。
私達はほんとうに神によって生かされている。
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by chisanakonomi | 2008-03-24 23:20

ユーゴ滞在記

翌朝、私とマルギットとエルジケはマルギットのポンコツ車に乗り込んで、ハンガリー村へと向った。
途中でマルギットの車のタイヤがパンク。タイヤ交換50マルク。外貨じゃないと取り扱ってもらえないという。当時はまだマルク使用だった。セルビアの物価から考えるとかなりの出費。マルギットの宣教活動に車はかかせない。そうそう、マルギットはハンガリー人の夫と離婚していた。息子が2人いるが、もう成人していた。宣教活動を続けるため、夏はオランダに出稼ぎに行く。
男性は畑仕事、女性は掃除婦として働くそうだ。

さて、ひなびた小さな村に到着した。
小さな小屋に黒服を着たおばあさんたちが集まっている。
マルギットや私達を歓迎してくれ、さっそく礼拝が始まる。
セルビア国内だけど、ハンガリー語だ。
いくつか賛美歌を歌い、マルギットのお説教があった。
おばあさんは、「この前薬局に日本人がきたわよ」という。
「あれは中国人よ」とマルギット。
日本人と中国人の区別がつかないらしい。
次に待っている人たちがいるからと、早々におばあさん達と別れる。
いつまでも笑いながら見送ってくれた。
次に1箇所まわり、3箇所目は役所のようなところの集会室。
ここには子ども達もたくさん集まっていた。
礼拝の後、マルギットは「日本のこと知りたいでしょう?なんでもM子に質問して!」と始まった。
日本人ははじめてらしい。子ども達は目を輝かせて質問してくる。
「日本てどこらへんにあるの?」から始まり、一番多かった質問が「“愛する”って日本語でなんというの?」だった。
「“神様”って日本語でどう書くの?」「キリストって書いて!」「愛って書いて!」「僕の名前を日本語でここに書いて」とメモを差し出す子。書いてあげると大事そうに紙を折りたたんでポケットにしまう子。
電気やガスが切られることもあって、けっして楽ではない生活の中にあっても、希望を失わず、澄んだ目を輝かせている子ども達の姿に“豊かさってなんだろう”と深く考えさせられる体験だった。

Iさんと待ち合わせをして、ノヴィサドの町を案内してもらう。
丘の上の教会。ドナウ川。
ここのドナウはハンガリーとちょっと違う。ゆったりと流れているように感じるし、川幅に変化がある。
いくつか教会も案内してもらうが、鍵のかかっているところが多い。
夕方からは、マルギットのお友達が司祭をやっているフランシスコ派のカトリック教会に連れて行ってもらうことになっていた。
こじんまりとしたフランシスコ派の教会には既にたくさんの信者のかたがたが集まっていた。
嬉しいことにハンガリー語でミサが執り行われた。
ミサ終了後は2階の集会室で、私を囲んで懇談会を用意しているという。
ハンガリーでよく歌う聖歌を歌い、聞き覚えのある式次第で、今自分がセルビアにいることを忘れるほどのハンガリーなひとときだった。
マルギットとエルジケはカルビン派のプロテスタントなので、聖パンを受けることはないが、私は異国の地でキリストの身体をいただき、感慨無量だった。
ミサが終わると、神父さま(結構若い)が「今日は日本からお客様が来ています。2階で懇談会をやりますから、ぜひみなさん参加してください」と呼びかけた。
いったいどんなことになるのだろうと、ちょっと不安になる。
階段を登りかけた時、マルギットと神父さまが挨拶をかわした。親友のような気安さ。
カトリックのミサに参加したいという私の願いを聞き入れてくれたマルギットに感謝した。
懇談会は冷や汗ものだった。
予期していない質問が飛び交う。日本におけるキリスト教の歴史とか、日本人にとって宗教とはなにかとか、日本の宗教はほかにどんなものがあるかとか、宗教的行事について教えてくれとか、とても専門的で、大学の講義のようになってしまった。とても私の語学力じゃ対処できない。だけど不思議なことに、マルギットは私が言いたいことを理解して、私のつたないハンガリー語の通訳(?)をしてくれた。狭い部屋一杯に集まってくれた信者のみなさんと心の交流ができ、幸せなノヴィサドの夜は更けた。
エルジケはもう子どもの村に帰らなければならない。寂しそうなエルジケ。
ドナウ川のほとりの孤児院に送っていった。
きれいな白木の木造の建物がいくつも建っていて、明るいイメージの子どもの村。
そこの待合室のようなところでエルジケと別れた。
親はいなくてもエルジケはやさしいマルギットを代母にもち、施設も明るく、幸せそうだった。

翌日はベオグラードへ。
一足先にベオグラード入りしていたIさんがベオグラード駅で迎えてくれた。
このあと、案内されたベオグラード大学で「鳥のために」の原作者山崎佳代子さんにお会いすることとなる。(つづく)

写真はアッシジの聖フランチェスコ(この修道会をフランシスコ派修道会という)

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by chisanakonomi | 2008-03-20 11:15

鳥のために



復刊ドットコムからメールがきた。

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復刊ドットコムです。

『詩集』特集にご投票・ご購入いただきました皆さまにお知らせです。

詩集「鳥のために」を皆様にご提案いたします。
仮予約数が150部に達しましたら発売決定です!
皆さんのご予約をお待ちしております!
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■『【仮予約】鳥のために』(最終得票数 111 票)
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【著者】山崎佳代子
【発行】ブッキング
【予価】2,940円(税込み) ※予価の為、価格が変更する場合がございます。
【発送時期】未定

★仮予約150部で復刊決定です!

1990年冬から1994年夏までにユーゴスラビアのベオグラードで生まれた珠玉の詩集。
詩人・須賀敦子氏の『本に読まれて』で紹介され、音楽家・松下耕氏の手により合唱曲として人々の心を震わせてきた作品が、読者からの熱いリクエストにより甦える。
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みなさま興味をもちましたら、ぜひ「鳥のために」の仮予約をしていただけたらと思います。150冊で復刊されるのです。

さて、私は一度だけユーゴに行ったことがあります。
そのときの話をシリーズでお届けしたいと思います。
今日はその第1話です。

著者の山崎佳代子さんに初めてお会いしたのはNATOの空爆の1年前だった。

ハンガリーで知り合った北海道のIさん(大学の先生)は大学院生のときにユーゴのノビサドという町に国費留学していた関係で、定期的にユーゴを訪問し、大学などで講義を行っていた。専門は法律だった。

Iさんは北海道のかたで、私の勤務先に宿泊されたお客様だった。
夜中にドイツ語版「人生ゲーム」にお友達のかたと興じたり、気の合う同郷人だった。

1990年代の終わりころ、ハンガリー滞在中、「ユーゴに行ったことがないから行きたい」とユーゴに行く前に立ち寄ったIさんにちょっと希望を話したところ、「じゃ行きましょう、案内します」ということになった。ユーゴ、正確にいうと、ハンガリーの南、セルビアである。
先に行っているIさんを頼って、わくわくしながら国境を越える。
なんとなくハンガリーとは田園風景が違う。
この国はアメリカなどから経済制裁をうけていて、決して豊かな国ではなかった。でもセルビアの人々はラテン系ということで、とても楽天的。
自給自足ができれば「なんとかなるさ!」という国民性だった。

ノビサドに到着したら、Iさんと、カルビン派の宣教師であり、ラジオ局勤務のマルギット(ハンガリー生まれ)が出迎えてくれた。Iさんは少年のようにはしゃいでいる。よほど嬉しかったらしい。
そんなに歓迎されるとほんとこちらも嬉しいものだ。
マルギットと私はハンガリー語で会話。
Iさんとマルギットはセルビア語。3人で共通ということになると英語と、なんだかおもしろい会話が始まった。
その日はマルギットの家に泊めてもらうことになっていた。
いつもは2人の地方から大学に通う学生が泊まる部屋が休暇で留守のため、そこに泊めてもらうことに。
マルギットの家は団地。そんなに広いわけではない。
だけど、無料で学生に部屋を提供している。
その日は、マルギットが代母をやっている孤児のエリジェベート(この子もハンガリー系)・・エルジケちゃんが泊まりにきていた。次の日まで外泊できるらしい。エルジケはドナウ川のほとりの子供の村(孤児院)に普段は住んでいる。
テーブルの上にはハンガリー風の食べ物。パンくずはテーブルクロスごと、窓から外に捨てる。ああ、そうだった。みなこうして、鳩のえさにするんだった。

翌日は朝早くから、マルギットの宣教師としての布教活動にくっついて、
ハンガリー人村を訪れることとなる。(つづく)

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by chisanakonomi | 2008-03-20 08:32